ノヴァーリス 夢の形象に寄せて
2023年 09月 15日
読めば読むほどノヴァーリスの迷宮へ。
まるで終わりのない旅をしているように。
それは紛れもなく自分自身を見いだす旅。
もう一度読もう。
いや何度も読もう。
ノヴァーリスを探して …

「純粋な心情は光にたとえられ … 詩人は純粋な銅(はがね)であり、もろいガラス繊維のように感じやすく、しかも欠けない火打石のように固くもある」
ノヴァーリス「青い花」より 青山隆夫訳
心情と分別のバランス
老詩人クリングゾールはそのどちらにも偏ってはいけないと示唆する。
ベンヤミンはエッセイ「物語作者」の中で、〈物語る〉という技術は、「魂と目と手の間に現れるある種の調和によって授けられるもの」と語るヴァレリーの言葉に触れる。
ベンヤミンの言う「手仕事の輪の中で豊かに永らえていく物語(伝達の形式)」。
それはノヴァーリスの思想に共鳴する。
パウル・ツェランは詩論の中で「注意深さとは『魂のおのずからなる祈り』である」というベンヤミンの言葉に触れる。
それは「注意深さ」を、自らとは異質なものに向ける救済、変革、新たな創造への途上とするノヴァーリスの思考に重なる。
注意深さとは、究極の優しさであるとシンプルに私はみる。
小説「青い花」の目論見は「ポエジーの神化 / 礼讃である」。
ノヴァーリス(ティーク宛書簡より)

揺籠のなかの愛ー夢。
〈理性ー空想。悟性。記憶。心。〉
ノヴァーリス「青い花」
草案メモより

「詩は、子供とみなされてきた。
ちょうど『システィーナの聖母』
の下に描かれた童子天使のような子供に .. 」
ノヴァーリス「一般草稿」より
ノヴァーリスが感銘したラファエロの『システィーナの聖母』。
ドレスデンで観た壮大な絵の中には無数の天使たちの顔が!
圧倒されたことを思い出す。

「われわれの言語ー
それは当初ははるかに音楽的であったが、しだいにかくも散文的にーかくも音響を失ったのだ。
… それはもう一度歌にならなければならない。」
ノヴァーリス「一般草稿」より

詩人の言葉は音響である …
ノヴァーリス「準備録」より
「愛する心」にとって死者は喪われない。
「死は、終わりであり始まり、分裂であり緊密な自己統合である」
ノヴァーリス「花粉」より
死者は生者に、生と死を統合する創造的想像力、詩的想像力、時間を超越する〈永遠〉の体験をもたらす。
ノヴァーリスは哲学を、思索へのひたむきな愛の証であると。
一般草稿より

「愛のおかれた状況は、すべての人にとっていっさいであり、いっさいであらねばならない。
だから愛とは自我であり、あらゆる努力の結晶なのだ」
ノヴァーリス「一般草稿」より
慈愛、祈り … 昇華された愛は、私という自我になる。

思考は感情の見る夢 …
ノヴァーリス「サイスの弟子たち」より
「感情の元素とは内的な光 … 」
ノヴァーリス「サイスの弟子たち」より
心に響く言葉。

「自然の内なる音楽を理解し、外なる調和を感じとるための感菅 … 」
ノヴァーリス「サイスの弟子たち」より
虫の鳴き声、雨音 …
ただありのままに耳を澄ましたい。
新しき道も最後には聖なる故郷にたどりつく。
ノヴァーリス「サイスの弟子たち」より
本を読むとは「憧れ」を感知すること。
ふとそんなことを思った。

メーテルリンクはノヴァーリスを「精神の究極の表現者」と名づけた。
青い鳥から青い花へ …
展示の流れが『青』に導かれていることを感じます。
〈青い鳥〉の真髄は、ノヴァーリスの〈青い花〉〈ヒヤシンスと花薔薇のメルヒェン〉 … から巡られて。

「内的な光は屈折してより美しく、より強烈な色彩となる。そうなれば、人間の心の内に星が輝き出て、いま自分の眼が見ている境界や地平を超えて、もっとありありと、もっと多彩に、まったき世界を感じることができるだろう。」
ノヴァーリス「サイスの弟子たち」より(今泉文子訳)
眠りは見えざる大海の満ち潮
目覚めは引き潮の始まり
母なる水の子守唄に耳を傾け
波のように生きる
ノヴァーリスを詩のように味わう。
その思索を歌のように …

「すべての見えるものは見えないものに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに、考えられるものは考えられないものに 触れている … 」
ノヴァーリス 「断章」より
感官に注意深くあること。
ノヴァーリスを読む中で宮沢賢治の思考が私の中で深く重なる。
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ …
宮沢賢治「雨ニモマケズ」より

魂の座は、内界と外界が接するところにある。
ノヴァーリス「花粉」より

「わたしたちは宇宙万有を経めぐる夢を見るー
だとすれば宇宙万有はわたしたちの内部にあるのではないか。
…
内部へと神秘に満ちた道が通じる。」
ノヴァーリス「花粉」より

「追想や予感、あるいは未来を思い描くことほどに、詩的なものはない。」
ノヴァーリス「花粉」より
「精神と美がそろうところでは、あらゆる自然物のうちでも最良のものが、同心円状に揺れ動きながら集積していく。」
ノヴァーリス「花粉」より

「ポエジーとは、耳をそばだてるようにしてそれを聞き取り、言語に持ちきたすべきもの …」
そしてノヴァーリスは長編小説「青い花」の執筆にとりかかる。