ヴァレーのリルケ 晩年の安らぎ




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リルケは最晩年をスイスのヴァレー地方「ミュゼットの館」で暮らし、そこで生涯を終える。


13世紀にまで遡る城館は、スイスの友人の尽力によって探し出され提供されたものであった。


この館で、永いこと途絶えたままになっていた「ドゥイノの悲歌」が完成し「オルフォイスへのソネット」が歌い上げられた。


詩業の頂点ともいえるそれぞれの長大な連作詩集。

それを果たし終えたリルケの心情は、詩人としての使命を果たしたという安堵と安らぎに満ちていた。


そのくつろいだ想いが、フランス語の詩作へと向かわせる。

母国語ではない言葉で詩を書くという試みは、リルケが愛したヴァレーの自然、フランス語を話すまわりの人々への親愛、晩年のフランス語への愛着によるという。

詩を書き出した当初、リルケはこれらを詩集として出版する意志は特に持っていなかったが、雑誌に発表した数篇の作品を読んだフランスの友人たちが詩集として出すように勧め励ましたという。


タイトルを「VERGER」(果樹園)としたのも彼らであった。


刊行された詩集の中で、リルケはその想いを詠う。


「私が借りてつかう言語よ、敢えておんみによって詩を書くのは

常に無比の魅力で私の心をとらえて悩ました

あの鄙びた一つの言葉

vergerという字を使ってみたいためだったかのようだ。」


         果樹園 29番 verger (片山敏彦訳)




フランス語詩集の刊行を喜び迎え入れてくれたアンドレ・ジッドの手紙に、リルケはミュゼットの家からこう宛てた(1926/7/10付)。



「あの小さな本(詩集「果樹園」)があなたの両手を一つの花の重みで満たしたとすれば、それはあなたやヴァレリー、他のフランスの親友たちが迎え入れ、本の刊行に寛大であったことへの感謝によるものです」(一部抜粋)と。


詩を書かずにいられなかった喜びを謙虚に伝えている。



リルケは自然への愛と土地の人々への愛に霊感され、ヴァレーの4行詩を書いた。


ここでは大地が 星としての

地球の役目に適うものに包まれている。

ここでは大地が やさしく潤い

その円光を持っている。


               ヴァレ4行詩 23番(片山敏彦訳)




楽器を奏でるようにくつろいだ気持で綴ったというフランス語からはリルケの穏やかな幸福感が漂ってくる。



詩集「果樹園」は、呼び招かれたように天使たちの訪れに以て始まる。



この夕べ 私の心は

追憶する天使たちに歌わせる

ひとつに和した声 それはほとんど私の声

それは深い静けさに誘われて


立ち昇り そして決意する

もう再び帰り来ぬと

やさしく そして力強いその声は

何と結びつき溶け去ろうとしているのか

     

               果樹園 1番 verger (久保田恵子訳)



ある晩、思い出を携えた天使たちがリルケの心に現れ歌をうたう。

その歌声は、彼自身の声と唱和して永遠を奏でる。


「果樹園」の天使たちは、ようやく訪れたリルケの平安を映す。


静かにリルケを見守り言葉少なに慈愛の眼差しを向ける。





by silent_music | 2021-05-16 22:44 | days