聖ベルナデッタ 〜 ひそやかに深く聖女の道を生きた人 〜
2010年 02月 12日「聖母がわたしを選ばれたのは、わたしが一番貧しく、一番無知だったからです。」
ベルナデッタ.スピルー
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1866年7月7日の夜、ベルナデッタはサン・ジルダールにあるヌヴェール愛徳修道会の本部修道院の敷居をまたぎました
彼女は、ルルドの養護施設でこの修道会を知り、自ら選んだこの修道会が示す福音の道を歩むことになりました。
「神は愛である。」
ここに到着したとき、ベルナデッタは修道院の切妻壁の石に刻まれているこのことばに目をとめました。
このことばは、すでに彼女の心の中に刻み込まれている体験、すなわち、すべての人に対する神の驚くべき愛の体験と合致するものでした。
ベルナデッタは13年間、サン・ジルダールで生活し、看護助手、病室の責任者、香部屋係等の役目を次々と引き受けましたが、彼女自身しばしば病気がちでした。
ヌヴェールにおける目立たない、隠れた生活の中で、彼女はその存在の深みにおいて、常にもっとも貧しい人々と固く連帯していました。ご自身の命を与えるほど愛してくださったイエスと深く一致して、彼女は一つひとつの行い、ことばのうちに、「一瞬たりとも愛さずに生きることはできません」という心の望みをあらわすようにつとめました。
ベルナデッタは、生涯の最後の日々、病気がちだったために、長い間聖十字架病室にとどまっていました。
他の病人と同じように、ベルナデッタは他の人に依存しなければならない屈辱感、何の役にも立たないという苦しみを体験しました。しかし彼女は、この恥ずかしい思い、苦しみを、他の人々に自分を開く場、同じ道を歩んでいるすべての人と深く連帯して生きる場としました。
「確かに、わたしは、何もできなくなったこの状態を自分で選んだのではありません」
「祈りだけがわたしの唯一の武器です」
1879年4月16日、復活祭直後の水曜日、午後半ばごろ、それは、ベルナデッタの内的冒険がその極みに達したときでした。彼女は、イエスのように、神のみ手に、「わたしたちの父であり、わたしたちにとって限りなくいつくしみ深い」この神のみ手に、自分の生涯をゆだねました。
「Sainte Bernadette-Nevers」より抜粋
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奇跡の人ベルナデッタ、ひそやかに深く聖女の道を生きた人..........。